蝶ヶ岳(18/02/18~02/20)


 

☆天気

 

2/18 晴れ

 

2/19 晴れ

 

2/20 晴れ

 

 

 

☆コースタイム

 

2/170日目):国立駅1300===1600村井(泊)

 

2/181日目):起床0500===沢渡0710===0720釜トンネル入口0740---0940上高地0950---1110明神1120---1255徳沢→1530長塀尾根偵察1610→徳沢(泊)

 

2/192日目):起床0300→徳沢0430---長塀山(通過時間失念)---1040蝶ヶ岳1055---長塀山(通過時間失念)---1400徳沢(泊)

 

2/203日目):起床0330→徳沢0500---0600明神0620---0710上高地0730---0955釜トンネル入口

 

 

 

☆行動と感想

 

 4年生の夏の終わりから秋にかけて、奥穂高岳、北穂高岳、そして槍ヶ岳と北アルプス南部の山々に集中的に登っていた。運よく毎回の山行は概ね晴れ、山頂から見える険しくも美しい山々の景色に感動してきた。その中で、僕の山岳部での活動の集大成として行きたい山を考えたとき、やはり冬の槍・穂を見ることができる山がいいと思った。そこで、昨シーズンに登った年末年始の燕岳よりはレベルを上げ、かつ山頂からの景色に定評がある山として蝶ヶ岳を選んだ。

 

今シーズンの冬山は、ウォーミングアップと後輩の育成の意味を込めて、天狗岳と金峰山・瑞牆山に登ってきた。その中でも本山行は、参加者を冬山の経験がある2年生に限定し、OBの佐藤さんへのご同行もお願いした。これは、厳冬期の蝶ヶ岳は自分の登山経歴と照らし合わせて、安全に挑める限界のレベルにある山であると判断したからだ。

 

 

 

2/170日目)

 

 OBの佐藤さんのご厚意で、国立から沢渡までは車を出していただいた。加えて、OBの兵藤さんのご厚意で、松本市内の兵藤さんのご実家を前泊のために貸していただいた。学生にとって、これほどありがたいことはなかった。

 

 昼過ぎに国立を出発し、松本に夕方前には着いてしまった。兵藤さんのご実家にはこたつがあり、ここに入ると明日から入山することが信じられないほど落ち着いてしまった。夕飯は、ご実家の前にある兵藤さんのいとこさんが営む中華料理屋さんでいただいた。ボリューム満点で本当に美味しく、登山前にはぴったりだった。寝る前に天気予報を確認すると、予報は回復傾向にあった。いつも自分は晴れ男だと言って後輩に呆れられているが、今回ばかりは天気が崩れると命に関わる。晴れることを祈ってシュラフに潜りこんだ。

 

 

 

2/181日目)

 

 沢渡の駐車場で車から降りると、予想以上に寒いなと感じた。今シーズンの冬山山行があまりにも天気に恵まれていたということもあるが、やはり北アルプスの冷え込みは違うなと感じた。駐車場から予約したタクシーで釜トンネルの入口まで行き、そこで登山届を出して準備運動をした。

 

 歩き始めると、いきなり釜トンネル内部は急勾配であった。トンネルは1キロ以上続き、景色も全く変わらない。歩き始めだからまだ耐えられたが、精神的には負担が大きいと感じた。トンネルを抜けると、道に雪が積もっておりたまに滑りそうにはなったが、そこまで歩きにくいわけではなかった。雪の有無と関係なく、ただ荷物の重さと上高地までの距離の長さにうんざりとした。

 

 2時間ほど歩いて河童橋に到着すると人はほとんどおらず、その静かな雰囲気は夏とは全く異なるものだった。穂高方面を見るが、残念ながらガスがかかっていて真っ白だった。再び歩き始め、小梨平キャンプ場に差し掛かったあたりでいきなり雪が深くなり足を取られた。どこかでワカンをつけることにはなるだろうと思っていたが、予想していたよりも装着のタイミングが早かった。ワカンをつけてからも雪が深い場所が続き、体力を奪われる気がした。横尾までの道は平坦だから楽勝だろうと思っていたが、どうやら違うようだった。

 

 明神の手前あたりで、前日より上高地入りしていたOBの前神さん、兵藤さん、町田さんに会った。話によると、トレースがついていない状態だともっと歩きにくかったらしい。お三方と別れた後は若干だが歩きやすくなり、トレースのありがたさを感じた。明神を過ぎてしばらくすると、大学生らしき3人組のパーティとすれ違った。お互い挨拶をするだけで話すことはなかったが、入山者がいたと思うと少しほっとした。その後、徳沢が近づいてきたあたりで、徳沢方面まで歩いていらっしゃると聞いていたOBの佐藤久さんと会った。久さん曰く、横尾方面には全くトレースがなく、その道を歩くのは厳しいと思われるとのことだった。また、僕たちもすれ違った3人組のパーティは、蝶ヶ岳から長塀尾根を下ってきたとの情報を頂いた。トレースが全くないとなると、横尾まで辿り着くことすらできるか怪しいだけでなく、その先蝶ヶ岳までの急斜面を登ることは相当厳しいであろうと予想された。そこで、長塀尾根にトレースが残っていることを期待し、徳沢にテントを張ってピストンでアタックすることに決めた。

 

 徳沢に到着すると、さっそく設営を始めた。前に誰かがテントを張ったと思われる風よけのくぼみがあったので、それを広げて利用した。設営が終わるとまだ日没まで時間があったので、長塀尾根の途中まで偵察に行った。尾根の歩き始めは雪の量も少なく、意外とあっさりと登れてしまいそうだとホッとしていた。しかし、そんなことを思えたのは一瞬で、すぐに雪は深くなり踏み抜くと膝くらいまで沈んでしまった。トレースがある場所でさえこの様である。標高が上がったところは一体どうなっているのか、不安が増すばかりであった。トレースの中で雪に埋もれたり、尾根上の雪の少ない場所にトレースを付け直してみたり、30分程悪戦苦闘したが、一日歩いた疲労もあったので大した距離も進めていないが引き返すことにした。

 

 テントに戻って夕飯を食べた後、明日の行程について打ち合わせをした。夏道のコースタイムを1.5倍して考えると、日の出前に出発しても時間的余裕はなさそうだった。そもそも、偵察でコースの状況を見た限り、あの雪の深さの中を夏道の1.5倍のタイムで登れるのか疑問であった。今まで部で様々な山に登ってきたが、登頂に失敗する可能性をここまで現実的に考えなければならない登山は初めてであった。厳冬期の北アルプスはこういった場所なのかと圧倒されるような気持ちでもあったが、自分にとって集大成ともいえる今回の登頂は何としても成功させたいという気持ちでもあった。ひとまず、正午をタイムリミットとして登れる場所まで登るということに決まった。天気予報を見ると、幸いにも晴れそうだった。明日は思っていたよりも大変な勝負になりそうだと思いながら、不安や興奮が混じった何ともいえない気持ちで眠りについた。

 

 

 

2/192日目)

 

 まだ周りが真っ暗な中、徳沢のテント場を出発した。昨日の偵察で苦しんだことを思い出し、浮かない気持ちで尾根に取り付き始めたが、夜の冷え込みで少しは雪が締まっているように感じられた。一晩寝たおかげで体力も回復し、昨日よりは素早く斜面を登っていった。だが、やはり偵察でつけたトレースが消えたあたりから、ラッセルを強いられた。昨日すれ違った3人組パーティが付けたトレースは鮮明とは言えず、風が強く吹く場所では完全に消えていた。10分ごとに先頭を交代し、時々文句を挟みながらも口数少なめでひたすら斜面を登り続けた。

 

 登り始めから12時間経った頃だっただろうか、だんだんと傾斜が緩やかになってきた。頭の中で地形図と照らし合わせると、確実に距離は稼いでいるように思われた。しかし、この長塀尾根は距離が長い上に、途中にわかりやすいチェックポイントが少ない。果たして自分たちが山頂に到達可能なペースを保つことができているのか、確証が持てないまま登り続けることは精神的に大きな負担であった。相変わらず、雪が深いところでは股下くらいまで埋まってしまい、雪の中から脱出することに無駄な体力を奪われた。これまで自分が登ってきた雪山は、本当に「雪山」と呼ぶことのできないようなものだったのではないかと思い知らされた。

 

 途中休憩のときに、我慢できずスマートフォンのGPSで現在地を確認した。すると、長塀山まであと半分もない地点にいることがわかった。これまでのペースと残り時間を突き合わせて計算すると、登頂は十分可能であった。こうなると、俄然やる気が湧いてきた。たくさん喋っている余裕はなかったが、3人で「もう少しで着くだろう」と励ましあいながら登り続けた。トレースが消える場所では、木についたテープを頼りにルートを見つけるのだが、全然テープを見つけられない僕の代わりに後輩2人が率先してルートをつくってくれた。おそらく、1人でこの尾根を登ろうとしていたら途中で断念していたと思う。3人だからこそ登れているのだな、としみじみと実感した。

 

 再び股下ほどまで体が沈む場所をいくつか超えると、ようやくはっきりしたピークを1つ越えた。看板等は雪で見えなかったが、GPSの位置情報によると長塀山を過ぎたようだった。ふと進行方向の左手を見ると、木々の間から白銀の山々が見えた。遂に山頂が近づいてきたという実感が湧いてくると、急な登り返しも苦ではなかった。

 

 周囲の木々がなくなり視界が開けると、そこには今まで見たことのない世界が広がっていた。真っ青な空に向かってピークへ続く白い尾根が続き、左手には険しいながらも美しく輝く北アルプスの山々が一望できた。興奮のあまり思わず声を上げ、歩くスピードも自然と早まった。そして、出発から6時間あまりで遂に山頂に到着した。幸いにも風はそこまで強くなく、ゆっくりと目の前に広がる絶景を楽しんだ。山頂から西方向を向くと、穂高連峰、槍ヶ岳、常念岳と名だたる山々の大パノラマが広がっていた。写真では伝わらない、その迫力に圧倒された。苦労して登ってきたからこそこの景色が見ることができたのだと思うと、今日一日頑張ってきて良かった、そしてこの4年間部で登山を続けてきて良かったと改めて思った。

 

 思う存分写真を撮った後、下山を開始した。登りで体力を消耗した分疲れていたが、登りの苦しさに比べれば平気だった。もしかしたら、冬道の方が夏道よりも速く下れるかもしれないとも思った。長塀山を過ぎてしばらく歩くと、佐藤さんがツエルトを張って待機されていた。残り時間を見て、登頂は断念されたとのことだった。そこからの下りは、くだらない話をしながら順調に歩けた。それでも、徳沢のテント場に着くと疲れがどっと出て、しばらく座り込んだままぼんやりとしていた。その日はとてもお腹が空いていたので、早めに夕飯を作った。メニューは、僕の強いリクエストでキムチ鍋だった。山で食べるキムチ鍋ほど美味しいものはない。

 

 

 

2/203日目)

 

 釜トンネルからのバスの本数が少なく、午前中のバスに乗るために頑張って早起きした。終始アップダウンは無い道だが、前日までの疲労と荷物の重さで決して楽ではなかった。明神辺りで周りが明るくなってきて、明神岳が綺麗に見えた。初日と違い今日は晴れそうだったので期待をもって河童橋まで向かい、振り返ると穂高岳が朝日に照らされて白く輝いていた。夏、秋と様々な季節の穂高岳をこの河童橋から見てきたが、やはりここから見える穂高岳は美しい。河童橋から冬の穂高岳を見るという目的も無事達成し、もうやり残したことはなかった。このままバスに乗って帰れれば最高なのだが、ここは残念ながら厳冬期の上高地だ。歩き切れば温泉に入れると自分を鼓舞し、文句を言いながらも釜トンネルまで歩き切った。

 

 

 

総括

 

 冬の槍・穂を自分の目で見るという目標を無事に達成することができ、僕にとって引退試合ともいえる山行として大変満足のいくものとなった。想定よりも厳しい状況の中登頂を成功させることができたのは、助言・サポートしてくださったOBの皆様、そして一緒にアタックしてくれた吉田と松橋がいたからである。改めて感謝を申し上げたい。人により色々な考え方があると思うが、僕は登山はチームで成し遂げることに1つの醍醐味があると考えている。このことを再認識できる山行であった。

 

 2年半前の夏に初めてテントを担いで登った雲取山、初めてアルプスの稜線を見た北岳…と、今まで山に登るとそれぞれに思い入れや感動があった。そしていざ山を下りてくると、次の新たな、もう一つ上の景色を見たいという衝動に駆られて、部での登山を続けてきた。その中で、今回の蝶ヶ岳行を終えた今、率直にやり切ったなという達成感が大きい。そう考えると、卒業のタイミングとしてはちょうどいいのかもしれないと思う。

 

 次の卒業山行で、いよいよ山岳部員としての山行は最後になりそうだ。六甲山を思い切り楽しんできたい。

 

山頂より穂高岳(2/19 10:44 撮影者 内海)

 

山頂より槍ヶ岳(2/19 10:48 撮影者 内海)

 

河童橋より穂高岳(2/20 7:14 撮影者 内海)