☆メンバー
清水慧介(CL・装備、社3)、𠮷田啓輝(SL・食料・記録、法2)
☆天気
6/8 晴れ
6/9 曇り
☆コースタイム
6/8(1日目):国立駅5:50===10:00土樽駅10:15---10:44茂倉新道登山口---13:00矢場の頭13:35---14:56茂倉岳避難小屋(泊)
6/9(2日目):茂倉岳避難小屋4:50---5:02茂倉岳---5:14一ノ倉岳5:18---6:08オキノ耳6:20---6:23トマの耳---6:32肩ノ小屋6:56---7:47熊穴沢避難小屋7:54---8:29谷川岳ロープウェイ8:33---8:48土合口駅9:00---9:20土合駅10:20===15:00国立駅(解散)
☆行動と感想
国立駅から武蔵野線や高崎線を乗り継ぎ高崎まで至った。そこから上越線に乗り土樽駅に着いた。水上で電車を乗り換えたのであるが、水上からの電車には液晶画面が備えてあり「こんなに辺境そうなのに液晶があるのか」と驚いたけれども、その車両の終点は長岡であったため容易に納得した。土樽駅には改札がなくSuicaを使うことができなかったため、帰りに水上駅あたりで清算しようということになった。ただ一応付け加えておくと、水上駅の壁にここからはSuica非対応ですと書かれていたので回避することはできたはずだ。土樽駅は予想通りの小さな駅であり駅員もいなかったが、トイレはしっかり存在していた。そこで用を足したが、整備する人がいないからなのかトイレットペーパーは備えていなかったので、以後も田舎のトイレを使用する際には気を付けるようにしたい。
日焼け止めを塗るなどして準備を整え出発した。まず茂倉新道登山口まで2kmほど車道歩きだった。そこでは工事の作業員の方や一般の方2,3人とだけすれ違った。案の定非常に熱く、6月初めとは到底思えなかった。登山口に向かう前に登山者一人とすれ違い、どこから来たのか疑問だったが聞かなかった。登山口には多くの車が止まっておりピストンする人も一定数いるらしかった。
登山口からは木に囲われていたため暑さは多少和らいだ。序盤がもっとも急であったが、そこでかなり体力が奪われた。というのも、今回私は水を11L持っていきいわゆる歩荷を行い、ザックは推定27,8㎏であった。(帰りのロープウェイの天神平駅にある天秤によれば20kgであってそれまでに7,8kg消費していたことが想定された。ただ、その秤が正確であるかはわからない。)途中足元に鳥のひなが歩いていたのは印象深かった。そのようなことを励みにして登って行ったが、最初のピークである矢場ノ頭に近づくにつれてペースは落ちて行き100%程になってしまった。だが、最初のペースが少し早かったためであろうが、コースタイムよりは早く到着した。矢場ノ頭からは四方が見渡せて非常に良い景色だった。そこで休憩を取ったが、同じく休憩していた夫婦らしき方々から頑張れと声をかけていただきありがたかった。清水さんが気を使ってくださりそこで30分ほどと長めに休憩を取った。天気が良かったため暑いことには変わりなかったが、私の限界に近い体力はやや回復した。そこから茂倉岳避難小屋までは400mほど登る必要があったが、傾斜はゆるやかに思われたため限界が来ても到着できるという安心感があった。そしてそこからは私の大好きな尾根歩きであったので、少しは楽しめた。周囲の山々と遠くに見える民家を拝みながらゆっくりと進んでいった。茂倉岳は遠くに確認することができたけれども、避難小屋は見える気配が全くなく少し焦った。100mほどの距離でようやく見つけることができた。避難小屋につく頃には太ももがパンパンだった。これまでの山行でここまで太ももに負荷はかかったことはなかったので、荷物を重くすると太ももに負担がかかるという学びを得た。
我々が到着した時点で小屋には6人程がいた。小屋は13-15人くらいが余裕で泊まれるほど大きく、棚があったため荷物の置き場には困らず悠々とスペースを使うことができた。その建物を出てすぐ正面にトイレが2つありその時点で驚いたが、和式のトイレには蓋が付いており信じられないほどの設備の良さだった。全方位開けていて景色が良く自然をいっぱいに感じられる一方で、よい設備を享受できる素晴らしい小屋だった。外に座って山々を眺めながら地図を読んだりラーメンを食べたりしている人もいて憧れた。小屋には、時間がたつにつれて多くの人が入ってきて、最後の4,5人程は入れず外にテントを張っていた。朝には風が強くなっていてテント泊は快適ではなかったと思うので、早めに避難小屋に入れてよかったと強く感じる。夕飯は味噌トマトラーメンだった。これはインターネットで見つけたレシピを丸パクリしたもので、初めて挑戦する種類の料理であった。味噌トマトラーメン2人分、トマトペースト2袋、冷凍ブロッコリー1袋、ソーセージ2袋が材料だ。トマトペーストが途中足りなく感じ1袋分追加したこと以外は順調に完成した。非常においしく、他に泊まっている人からもおいしそうだねとの声をいただいた。汁を捨てられるような設備は備わっていないので、残ったラーメンの汁を米にかけて雑炊として食べることを計画していた。だが、私は行動食を取りすぎたためなのかすでに満腹状態であったので雑炊は食べられなかったが、汁は飲めた。不健康な味がした。この食事は予想以上に時間がかかり1,2時間ほど食べていたと記憶している。ご飯を食べ終わった後は特にすることがなかったので、諸々のものを片付けてシュラフにくるまった。これが6時くらいであったと思われる。疲れもあってうとうとしていたが、7時くらいに他の登山者の割と大きな話し声が聞こえて少しの間起きた。交流するのは望ましいことだが、夜に出す声の大きさは自分も気を付けるようにしたい。そこからそれなりにぐっすり寝たが、途中寝返りをうっていたことには驚いた。普段のテント泊ではおそらく寝返りをうちたいタイミングで起きていたのだが、それがないのは革新的だった。
朝は3時45分ほどに起床した。避難小屋内の他の人は2,3人出発していたが、多くはまだ寝ていた。朝ごはんにはカレーメシとカロリーメイトを食べた。私は味覚がやや異常なので少しでも辛い物を食べると汗をかいてしまう。そのためカレーメシにはまろやかとパッケージに書いてあるものを選んだが、よく見ると中辛であり非常に辛く汗をかいてしまった。次からは辛さの欄をしっかり確認しようと思う。カロリーメイトは最近朝必ず食べるようにしている。鯖缶などを食べることもありだが、カロリーが特に必要な朝にはカロリーの塊を食べた方がより安心感を得られる。清水さんはアルファ米と鮭缶か何かを食べていた。その後準備をして出発は4時50分くらいとなった。1時間で完了させるのが理想であるが、私の準備が遅かったのが原因である。
2日目は風が強かった。雲もかかっていたので、前日とは打って変わって全く暑くなかった。大量に持って行った水も1日目の水分補給と夕朝の料理で消費して残り6Lほどになっていたためザックは多少軽くなっていた。だが、ペースは上げることができず、だが一定のペースでゆっくり歩いた。茂倉岳までは南風が横から吹いていたので落ちることも危惧されたが、登山道の北側に土が盛ってあったため体がもって行かれそうになってもガードしてくれた。茂倉岳山頂までは両サイド山々を見ることができたが、茂倉岳からところどころ雲が出てくるところがあり、谷川岳からは完全に雲に覆われてしまった。茂倉岳はそこだけちょうどガスがかかっていて寒いだけであったが、一の倉岳からは遠くの山々まで見ることができた。東の方は至仏山や武尊山などまで見えていただろう。一の倉岳から谷川岳までの間には足場が悪い崖のようになっている場所やちょっとした鎖場があったりした。東側は崖のようになっていて緑はあまり確認できなかったが、西側は草木・雪が一面に広がっていてきれいだった。緑と言っても黄緑、濃い緑など様々な色があって趣深かった。谷川岳にはオキの耳とトマの耳という二つのピークがあるのであるが、オキの耳では周囲の約80%が雲で隠れていて、トマの耳は雲で回りが全く見えなかった。オキの耳の登山道上に富士浅間神社奥の院というのがあった。この群馬まで富士山信仰が広まって定着しているのは知らなかった。どちらの山頂も巻き道が主要道で山頂までの道がわき道であるかのような感じがあり、あり得ないことだろうが何も考えていなかったら通り過ぎてしまうかもしれなかった。また、強風の影響もありどちらの山頂も寒く長時間滞在するのがはばかられた。それまでまったく人とはすれ違わず、トマの耳から少し下ったところにある肩の小屋でその日初めて登山者とあった。
肩の小屋にいらっしゃった登山者は2人でこれから谷川岳に登ると聞いた。そのうち早稲田大学山岳部のOBだという人がいろいろな話をしてくださった。学生に登攀を教えていること、練習は出来ても実際の山での登攀をやりたがる人が比較的少ないこと、春に学生を連れてニュージーランドで山に登ったことなどの話だった。小屋の中は暖かく快適で、主人らしき人が皿洗いか何かをしていた。本棚にはヤマノススメが15巻ほどまであった。
肩の小屋で20分ほど過ごした後はひたすら下った。ザックを背負う肩が限界だったので早く下りたかったが、足もきつかったのでペースを速めることはかなわなかった。まわりに見えるのは雲ばかりだったので、特別な面白さというのはなかった。人気であるためやはり道はよく整備されていた。だが途中に雪渓?がありやや恐怖を感じたが、ロープがあったので危険はほとんどなかった。短そうだったため軽アイゼンはつけなかったが、実際つけるべきだったのかはよくわからない。1450m付近にある熊穴沢避難小屋あたりから人が増えていき、100人以上とはすれ違ったように感じる。登山らしい格好をしていない人も多かった。
谷川岳ロープウェイの天神平駅に到着したのは8時30分あたりだった。下から登ってくる人はいたが降りる人は見かけなかった。土合口駅までは大人1,800円で手荷物1個10kg以上を持っていれば460円追加で払わなければならない。混雑時の影響を考慮しているであろうが、下りはスカスカだったので払い損のような形になった。ロープウェイはスキー場のゴンドラリフトのようなものであり、次から次へとリフトが行き来していた。中は広々としていて大きな手荷物がなければ10人以上は乗れるものだった。そのような場所を2人だけで独占するのは気持ちが良かった。土合口駅は予想以上に大きく谷川岳の人気を示していた。依然として上りに行く人は多かった。そこから20分ほどあるいて土合駅に着いたが、次の電車は1時間後であった。土合駅は「日本一のモグラ駅」というのをキャッチコピーにしているらしく、下り線は地下82mのところにあるらしい。行きの下り電車で土合駅を通ったのだが、地下であるため確かに空気が肌寒かった。上りは地上にありモグラ駅を体感することはできないが、体力が限界に到達していた私にとって長い階段を下る必要がないことは嬉しいことだった。駅自体は昭和の雰囲気を感じさせるものであり、切符の購入に使われそうな立派な駅員室があった。駅自体とは関係ないが清水さんにジュースをおごっていただいた。これまで何回も先輩に何かをいただくことがあり、自分も後輩にはこのようなことをしなければならないのだろうと感じる。土合駅には当然改札もなく駅員もいないため行きの電車の清算は水上駅でやることになると思っていた。しかし、水上駅までの車内で切符の確認をしていた車掌さんが行きの清算と国立までの清算も行ってくれた。このような体験は初めてだったが、500mLほどの小さな機械で電車の精算を行える技術の進歩に驚いた。その後国立までは何事もなく帰った。
まとめるとすれば、今回は歩荷のために疲れた山行だった。
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