夏合宿 雲ノ平(23/08/02-08)

◎メンバー

浅香(CL,経3)、下西ノ園(SL,経3)、田村(装備,社2)、吉川(記録,社2)

 

◎天気

8/2 晴時々曇り

8/3 晴れ

8/4 晴れのち雷雨

8/5 晴れのち雨

8/6 晴れのち曇り

8/7 曇り

8/8 晴れ

 

◎コースタイム

8/2

折立11:00---12:19三角点12:34---14:52太郎平小屋15:02---15:17薬師峠 (4時間17分)

 

8/3

薬師峠5:22---6:20薬師岳山荘6:27---7:03薬師岳7:33---7:57薬師岳山荘---8:48薬師峠9:28---10:01太郎平小屋---11:53薬師沢小屋12:25---14:33アラスカ庭園---15:04雲ノ平山荘15:28---15:41雲ノ平テント場(10時間19分)

 

8/4

雲ノ平テント場5:15---6:13祖父岳6:20---6:54岩苔乗越6:59---7:27ワリモ岳7:51---8:11 鷲羽岳8:35---9:44水晶小屋10:07---10:39水晶岳11:00---11:25水晶小屋11:33---11:57岩苔乗越12:06---12:28祖父岳12:35---13:23雲ノ平山荘(8時間8分)

 

8/5

雲ノ平テント場5:26---6:41高天原峠6:49---7:20高天原山荘7:29---7:40高天原温泉---7:56竜晶池7:59---8:09高天原温泉9:52---10:36高天原峠10:47---11:59雲ノ平山荘(6時間33分)

 

8/6

雲ノ平テント場4:31---6:27三俣山荘6:55---9:01黒部五郎小舎9:19---10:50黒部五郎岳11:20---12:33黒部五郎小舎12:46---14:36三俣山荘(10時間5分)

 

8/7

三俣山荘4:35---6:14双六小屋6:37---7:36硫黄乗越---8:07左俣乗越---9:16千丈乗越9:29---10:16槍ヶ岳山荘10:27---10:55槍ヶ岳11:06---11:15槍ヶ岳山荘11:47---13:44ババ平---14:52一ノ俣14:54---15:39横尾山荘(11時間4分)

 

8/8

横尾山荘---上高地

 

 

◎行動と感想

 OBの方々のかねてからの要望もあって、今年度の夏合宿として、雲ノ平を中心とした北アルプスにおける6泊7日の長期縦走が遂行された。パーティーは3年生二人、2年生二人の4人であり、自分以外はみな経験豊富な粒揃いである。まず、出発当初に立てられていた7日間にわたる計画を概観する。1日目は夜行バスで朝に富山駅に集合、折立から入山し、薬師峠のテント場に宿泊。翌朝は荷物を置いて薬師岳を往復し、薬師沢を経て雲ノ平へ向かう。雲ノ平でもう2泊している間に水晶・鷲羽岳や高天ヶ原温泉を巡り、5日目には黒部五郎岳に登って、黒部五郎小屋にテン泊。6日目は槍ヶ岳山荘を拠点に槍ヶ岳を制覇したのち、7日目に上高地へ下山する、というものであった。ただ、出発時台風6号が沖縄周辺で発生しており、こちら側へ接近してくる恐れもあった。ただちに山行を中止するほどではなかったものの、進路によっては後半の日程に影響を及ぼす可能性が十分に考えられた。

 

 8月1日夜、私は家が近い横浜駅から、他はバスタ新宿から富山へ向かう夜行バスに乗り込んだ。翌朝7時前には富山駅で落ちあったが、有峰口への電車まで2時間ほど時間があったので、3年生と2年生で分かれて3年生は腹ごしらえに、2年生は市内の散策に向かうこととなった。田村と足を運んだ先は富岩運河環水公園である。共に富山に来るのは初めてであり、何もせずに去ってしまうのは勿体ないとのことでせめてもの思い出づくりにと訪れたが、背負う荷物はその時点で20kg近くあり、舗装された平坦な道を歩くだけでも身に堪えた。おしゃれな環水公園と美しい山々を望むのどかな地方都市の雰囲気を存分に味わったところで、3年生が先に向かっていた吉野家で合流し、朝牛セットで元気をチャージした。その後3年生がコンビニで買い出しをしている間に再び田村と富山城をチラ見しに行くなどしてミニ富山観光を満喫(?)して、富山地方鉄道で1時間かけ有峰口駅まで向かった。だがこの路線、揺れが酷く、とてもじゃないが仮眠を取れるような代物ではなかった。なんなら揺れというよりもはや"跳ね"である。

  そして有峰口でバスに乗り継ぎ、登山口である折立に着いて入山したのは11時ごろ。この時点で日はかなり登っており、今まで経験したことのないザックの重さと、容赦ない陽射し、そしてスタート直後の激しい登りが我々の体力を奪うのに時間はかからなかった。しかし三角点を越えると登りも穏やかになり木道が現れ、さらには雲もかかり始めてかなり歩きやすくなった。展望も良くなり、有峰湖や周りの山々が望め、序盤の絶望感はだいぶ和らいだように思う。しばらく木道を進むと薬師岳や太郎平小屋が見え始めたので、休憩もほどほどにして一気に歩き、薬師峠のテント場には15時ごろに到着した。その日の夕食はスンドゥブを作った。なかなかの出来であったし、浅香さんが頑張ってソーセージを大量に持ってきてくれたおかげで大変満足感があった。翌日の出発を4時半ごろと決め、日が沈む前に床に就いた。

 

 目を覚ますと5時前であった。前日の夜行バスでみな疲れが溜まっていたのだろう。急いで朝食を済まし、余計な荷物をテントに残して薬師岳へ向かった。さてこの薬師岳は、「北アルプスの貴婦人」とも称されるように、どこから眺めても目を引く気品ある山容が魅力である。稜線は遠目ではなだらかに見えるものの、登ってみるとかなり骨が折れた。個人的にはこの薬師岳の登りは7日間の山行の中でも一二を争う苦しさを伴うものであったと思う。ただ、その山頂は大山脈の展望をほしいままにし、富山湾の向こうに能登半島を望むことができる、苦労に十分見合うものであった。また、その名からも分かるように、薬師岳は山岳信仰の対象で、山頂には祠が建てられている。我々が行った時には新しくなっていたようで、浅香さんが以前訪れたときとだいぶ様相が一変していたそうだ。浅香、田村両名が祠で丁重にお参りしたのち、薬師峠のテント場へ引き返した。テントを撤収し、出発しようとしていたところ、浅香さんが中高所属していた山岳部の顧問と遭遇し、思わぬ偶然に驚いた。

 そして、ここからが苦難の連続であった。まず、太郎平から薬師沢に至る道が、それほど高い木々が密生していないために殺人的な陽射しが遮るものなく降り注ぐのである。沢沿いを歩いて行くので、聴覚的には涼しげであるが、実際には暑くてたまらなかった。一方で視覚的にはというと、これまた絶望的である。それもそのはず、今から登らんとしている雲ノ平が、壁のように立ちはだかっているからである。ようにというか壁そのものだ。実際に目の当たりにした我々にそう感じさせるほど、折立方面から雲ノ平へ至る道は急峻を極める。暑さに耐えて薬師沢小屋に辿り着くと、いよいよ高さ450mにおよぶ急登が待ち受ける。そのキツさは想像を絶し、登山歴の長い田村に「過去イチの登りだ」と言わしめたほどである。こまめに休憩を挟みつつじっくりと歩を進め、水平距離にして900m足らずのところを2時間近くかけて、本山行最大の難所ともいえる急登を登りきり、ついに日本最後の秘境と呼ばれる雲ノ平に足を踏み入れたのであった。

 雲ノ平は溶岩台地であることからその名前がきており、一度登りきると柔らかな起伏と庭園、木道、そして雲ノ平山荘が忽然と現れる。山荘とキャンプ場は離れており、山荘で受付をしてから20分ほど木道を歩いたのちキャンプ場へ到着、テントを設営した。キャンプ場の西側には黒部五郎岳がどんと構えていて、その雄大な山容を常に拝むことのできるという贅沢な空間で3泊できたのは本当に良かった。(岩がごつごつで寝心地が悪かったことを除いて。)また、今回の合宿が自分にとって画期的であった所以として、期間の長さがあったことは間違いないが、天気図の活用という点も大きかったと思う。今回のような長期縦走では、入山する前に天気予報を確認しても、山にいる間に予報が変わってしまい、天気の移り変わりを把握するのが困難である。特にこの合宿では台風6号が接近してきており、後半に悪天候に見舞われるのを避けるために天候に注視する必要があった。そこで、浅香さんがラジオを持参し、毎日16時の放送を聴いて天気図を書くことになった。実は初日にもチャレンジしたものの、ラジオの周波数を合わせるのに失敗したため、この日が最初の天気図を完成させた日となった。実際に書いていたのは高校時代に経験のあった浅香・田村の二人だけだったので自分は見学するにとどまったが、見る限りかなり慣れが必要そうで、今後の山行でも活用していくとなると部会などで練習の場を設ける必要があると感じられた。その日の夕食は棒ラーメン。想像以上の美味だった。

 

 3日目は雲ノ平にテントと余計な荷物をデポし、日本百名山である鷲羽岳と水晶岳の登頂を目指した。この2座は雲ノ平のテント場から距離的にはそう遠くないものの、祖父岳の頂上を通って行かなければならず、なかなか厄介である。ただ、そこからは北アルプスの最深部に位置する鷲羽・水晶の姿をありありと望むことができた。確かきつい方を先に潰しておこうとかそんな理由で、先に鷲羽岳を攻めることになった。鷲羽岳へ向かう稜線の途中にはワリモ岳という山があり、アップダウンが激しく鎖もあったが、朝一で体力にも余裕があったのか、みな難なく登頂に成功した。この山の良かったところはやはり展望である。北アルプスの中心部に位置するだけあって、山頂からは360度名峰が揃い踏みであり、また極めつけに山頂の南東に位置する鷲羽池の存在がある。同じく南東方向にはみんな大好き槍ヶ岳が聳え、池と槍との美しいコラボレーションはまさに絶景であった。次に向かった水晶岳は斜度はそこまで急ではないものの、距離が分岐から遠めであり、登山道にザレ場が多く、想像以上に時間と体力を奪われた。黒部ダムを望むことができた水晶小屋を過ぎ、山頂へ近づくにつれて、岩場のような所も増えて登るのにかなり慎重さを要したため、体力的にも精神的にも疲労感が大きかったように思われる。水晶岳も鷲羽岳と同様、山頂からの360度の大展望が素晴らしかった。加えて、鷲羽岳と比べて頂上部分のスペースがかなり狭く、高度感が抜群で、より「山頂にいる」という感覚が強かった。

 無事下山し雲ノ平に戻って来たときにはまだ13時頃だったので、気象通報が流れる16時まで雲ノ平山荘へ足を伸ばしてゆっくりしようということになった。山荘の内部には落ち着いた音楽が流れており、内装もきれいで全体的にこんな奥地にある山小屋とは思えない瀟洒な雰囲気だったので、各々読書をするなどしてリラックスしたひとときを過ごすことができた。さて、この雲ノ平山荘は近くに水場がなく(最も近いのが歩いて20分ほどのテント場のもの)、通常は雨水を溜めて利用しているそうだが、我々が訪れたときには連日の晴れ続きで山荘の水不足が酷く、バッジもしくはジュースと引き換えにテント場の水場からの水20Lの歩荷を募集しており、この日は下西ノ園さんが挑戦した。持ってきたザックの重さも20kgほどあったが、本人曰く水の20kgとそれとは全然別物らしい。その後気象通報に間に合うようにテントに戻り、天気図を書き上げたのちに夕食にした。この日は米を炊き、麻婆春雨と食べた。会心の出来であり、4日目以降の夕食はレトルトのみであったので、本合宿の夕食はすべて成功裡に終わったといえる。食事が楽しみの多くを占める登山において、それがうまくいったことはかなり救いであった。この日は夕方から夜にかけて雲ノ平周辺が雷雨に襲われた。眠りにつくころには止んでいたが、天気図からも低気圧が徐々に入り込んできていたため、後半の天候への不安が徐々に高まった。

 

 中日である4日目はいったん身体に無理をかけすぎないように、そして汚れた体をスッキリさせるべく高天原へ温泉に入りに行くことにした。前半のルートはハイマツの藪漕ぎとごつごつとした岩の上を行くものが多かったのだが、前夜に雨が降ったおかげで、ハイマツを通り抜けるたびに体の至る所がびしょ濡れになり、岩は濡れて滑りやすくなるなど登山道は散々な状態であり、数日ぶりの入浴に躍らせていた心は早々に折られてしまった。森林限界を下回ると今度はいくつもの長いハシゴが点在する。一気に標高を下げ、渡渉や木道歩きなどを経て、雲ノ平から2時間あまりをかけ、日本最奥の秘湯、高天原温泉に辿り着いた。そして温泉に入る前に、前日雲ノ平でおじさんにお薦めされた竜晶池まで足を運んだ。綺麗は綺麗だったが、イマイチパッとしなかったので、そそくさと温泉まで引き返した。高天原温泉は、混浴2つ(うち1つ露天)、女性専用のお風呂からなり、沢のそばにある岩でできた浴槽に硫黄泉が溜まっているという、まさに秘湯感満載の温泉である。湯加減はというと、日によって変わるそうだが、我々が訪れたときにはこれ以上熱くなっても冷たくなってもいけない、本当にドンピシャの温度で、感動さえした。疲労回復とスッキリ感は想像以上であり、入り終えた後には初日のような元気と清々しさを取り戻したように感じられた。ただ帰り際に温泉で会ったおっちゃんから早稲田大の山岳部が同じエリアで13泊の合宿を遂行していると聞き、若干元気を削がれたところで雲ノ平へと引き返した。帰りは雨がだいぶ乾いていていくぶん歩きやすかったものの、600m以上の登りであるため、雲ノ平へ着くころには汗だくになってしまっていた。また、すれ違った老夫婦に「体から硫黄の臭いがする」と言われ、歩く香害と化すなどして、12時前には山荘に到着した。暇と元気を持て余した一行は、前日に続き歩荷をする流れになり、僕を除く浅香・下西ノ園・田村の3名が歩荷を行った。タンクを背負い山荘へと帰ってくる一行に山荘の人々からは感嘆の声があがり、自分もやらなかったことを少し後悔したが、試しに少し持たせてもらったところ、その考えはただちに霧散した。歩荷を終えて少しゆっくりしていたところ雨が降り出し、山荘で止むのを待っていたが一向に止まないので雨の中テントに戻り、天気図を書いた。やはり5日目以降の天気が不安視され早めに下山の態勢を作れるようにと、5日目は黒部五郎小屋ではなく三俣山荘にテントを設営し、荷物を預けた状態で黒部五郎岳へピストン、6日目は三俣蓮華岳や双六岳を撒いて、当初泊まる予定であった槍ヶ岳山荘を通過しなるべく下山を進め、殺生ヒュッテ、あわよくばババ平、もっとあわよくば横尾山荘に泊まるという計画に変更を行った。その日の夕食はレトルトカレーとアルファ米を食べ、4時半の出発を目指して就寝した。

 

 8月6日、5日目。朝3時台には起床し3日ぶりのテントの撤収を素早く済ませ、出発の準備が整ったのはちょうど4:30であった。祖父岳と鷲羽岳の間のとんでもない深さの谷を乗り越えて黒部川を渡ったのち、6時半前には三俣山荘に到着することができた。そこでテントを設営し、ひと段落したのちに百名山、黒部五郎岳へと向かった。雲ノ平キャンプ場からもその姿は見えていたが、近づくにつれてその風格あふれる山容に圧倒される。三俣蓮華岳の中腹あたりから見る黒部五郎の雄大さがもっとも印象に残っている。さて、9時頃には黒部五郎小屋に着き、予約取り消しの旨を伝えたのち、山頂を目指した。この黒部五郎小屋、谷のような地形に位置しており、行きも帰りもここを境にかなりハード目な登りが待ち受ける。樹林帯を堪えて歩を進めると、黒部五郎岳が北東面にいだく美しいカールが前面に広がり、歩きにくさと暑さは増すものの、カールの縁を囲む岩壁の中に高山植物や沢や岩が広がる自然のパノラマの造形美を楽しみながら歩くことが出来た。カールのふもとの部分にさしかかると、ジグザグとカールを登る急な登りになり、肩に着いてからはゴロゴロとした岩の上を歩く感じであり、かなり体力を使った。浅香さんと僕は多少へたってしまったが、雲がだんだん迫ってきていたので、頂上からの景色が悪くならないうちにと下西ノ園さんと田村くんは頂上へペースを上げて登っていった。僕が頂上に着いたころには西側の展望は全くなかったが、鷲羽岳などが見える東側は辛うじて雲がかかっていなかったので、十分満足感はあり、上から見る黒部五郎カールも迫力があり印象的だった。さて、黒部五郎岳を後にし、黒部五郎小屋に着いて休憩を取ったのちにある問題が発生する。それが 黒部五郎小屋の水、マズすぎる問題 である。いや、もはやマズいとかの話ではない、悪臭はするわ、水を採ったペットボトルの中に黒い砂粒のようなものが浮いているわでとても飲めたものではなかったため、三俣山荘で汲んだ残り少ない水をチビチビ飲むという、要らぬ辛抱を強いられることとなった。本記録の読者諸君が今後黒部五郎小屋を訪れるような際には手前の水場で十分な水を用意されたし。終盤で霧に覆われながらも、ハイマツの藪をかき分けほとんど雨に降られることもなく14時半ごろにはテントに帰り着いた。16時前に例のように天気図を書くため、浅香・田村の2人組がテントから少し離れた山荘へ向かった。その間にテントで下西ノ園さんと2人で夕食の準備をしていたが、2人が一向に帰ってこない。どうやら天気図を書く学生という物珍しさで、山荘の人たちに絡まれていたようである。この日の夜もレトルトカレーを食べ、キツいと思われる6日目に向けて元気を蓄えた。

 

 8月7日、6日目。この日もテントを撤収し4時半ごろには出発した。朝からかなり雲が出ており、時に霧の中を進むこともあったが、6日目とは思えない軽快な足どりであっという間に双六小屋まで降りてくることができた。ここから槍ヶ岳の西鎌尾根にさしかかる。樅沢岳への急な登りから始まり、その後はいくつものアップダウンを繰り返して槍ヶ岳に近づいていく。朝に出ていた霧もだんだん無くなりはじめ、左側には荒々しい硫黄尾根、右側には抜戸岳を見ることができた。左俣岳を越えると、鎖などが設けられた険しい岩場も増えてくる。この辺りで、専修大学山岳部とすれ違った。参加している部員数も多く、合宿の期間は2週間ほどと言っていた。私大の山岳部のパワーに気圧されつつ、一橋山岳部4人はやがて千丈乗越に到達した。ここを過ぎるといよいよ槍の肩までのガレ場の急登が始まる。浮石も多く危険で、コースタイムも距離に比して相当長く、浅香さんが中学生のころ登ったときにはここから槍ヶ岳山荘まで3時間ほどかかったそうで、苦戦が予想された。しかしいざ登ってみると、無理せずゆっくりと歩いていたつもりだったのに、コースタイムの6割に迫るような好ペースでみるみるうちに標高を上げていった。連日の強行軍により感覚が麻痺していたのだろう、予想よりかなり早い進み具合にみな驚いていた。その後もペースを落とさずジグザグにガレ場を登り、千丈乗越から45分あまりで槍ヶ岳山荘に着いてしまった。ここからは山荘隣りのスペースに荷物を置いて、今度は手ぶらで槍の穂先への岩登りに取りかかる。30段を越えるハシゴがかかっていたりと、ここの岩場は自分が経験した中でも類を見ない険しさで、かなりの緊張感があった。特に最後のハシゴは岩に当たって足を全部乗せられず、指先で体重を支えなければならない段もあり、ひやひやした。我々が登ったときには空いていたらしく、高さ100mほどの穂先を30分弱で登ることができた。あいにく山頂は全方位ガスっており、展望はゼロであったが、登り切ったときの達成感は今までの山でも随一であった。

 槍ヶ岳山荘で昼食を取り、出発の準備が整ったときにはまだ11時台だったので、頑張れば横尾山荘まで行けそうだということになった。天候や最終日が楽になることを考えればそちらの方が望ましかったので、みな納得したうえでの決定だったが、1日の歩行距離が20kmを越えた経験が全員ほぼなかったため、すこしの動揺はあった。また韓国では登山が盛んだそうで、槍ヶ岳山荘にも韓国人のグループがおり、韓国語中級を取った田村が韓国語で会話をしており感心した。その後下山は速いペースで進み、ババ平にも早い時間に着いたので横尾山荘まで余裕を持って行けそうであった。冗長な下りに途中嫌気がさしたが、山手線ゲームをしているうちに、あっという間に横尾山荘まで降りてくることができた。夕食は各自持参したレトルトをあみだくじで交換して食べた。長い山行の終わりが見えた安心感と20km歩いた疲労感で、みな気の抜けた感じであった。

 

 最終日はしっかり睡眠をとって、上高地へ速いペースで飛ばし、8時半頃には河童橋へ着いた。懸念されていた悪天候が噓のように雲の隙間から晴れ間も覗いており、合宿の締めに相応しい天気といえた。松本方面へ向かうバスの出発まで2時間ほど暇だったので、上高地のアルペンホテルで温泉に入った。石鹼を使って体を洗うのは実に一週間ぶりだったので大変気持ちよかった。ホテルを出て腹ごしらえをしようと河童橋を渡ったところで立て続けに下西ノ園さんの親戚、そして山岳部のOBである佐藤さんと偶然遭遇し、情報量の多さに混乱しつつ、下西ノ園さんの親戚と写真に写ったのちに佐藤さんとともに上高地のキャンプ場で宿泊されていた兵藤さんのもとに合流した。兵藤さんからは昔の合宿の様子や来月のOBとの合同山行についての話を伺い、佐藤さんには別れ際にソフトクリームを奢っていただいた。そうこうしているうちにバスの時間が迫っていたので、昼食は松本まで行って信州そばを食べ、そこで解散した。

 

 いままでに参加したなかで最長の山行が2泊3日であったので、6泊7日のこの合宿に参加することは、自分にとってかなりの挑戦であった。最後までちゃんと歩き通せるか不安な気持ちもあったが、ほとんど雨に降られることがなかったという天候の良さにも恵まれ、結果的に概ね予定通りのコースの100kmにわたる山行をこなせたことは、自信にもつながるたいへん良い経験となった。また、日本百名山を5座も制覇できたり、そもそも7日間も山に居れたことは思い返せばとても贅沢なことであり、辛いこともあったが行ってよかったと思えた。今回の参加人数は4人と少なかったが、今後の合宿では長期縦走を経験する人が少しでも増え、一橋山岳部が昔のような勢いを取り戻していければ嬉しく思う。最後に、7日間を通して大きな事故や問題なく山行をやり通せたのはメンバーの実力とリーダーシップによるものが大きかったと感じている。感謝したい。