鳳凰三山(17/09/30-10/01)


 

☆メンバー

 

A班】

 

内海拓人(法4CL)、坂本遼(法3)、田中亨(商2)、福家一裕(法2)、三宅森羅(法1・食事)、川原の乃(社1・記録)

 

B班】

 

羽二生祥馬(経4・SL)、小久保剣(法3)、松橋凛太郎(法2)、杉田颯太(商2)、井山瑞貴(経2)、松澤萌(商2・記録)、佐々木豪(社1・食料)

 

 

 

☆天気

 

両日とも快晴、風ほとんどなし

 

 

 

☆コースタイム

 

A班】

 

9/301日目):906韮崎駅945===1030御座石温泉1059---1130西ノ平1135---1310燕頭山1322---1430鳳凰小屋(泊)

 

10/12日目):起床300→鳳凰小屋438---522 2694m地点539---613赤抜沢の頭---620地蔵ヶ岳658---?(記録忘れ)赤抜沢の頭---720 2694m地点734---800観音岳843---903薬師岳915---1205青木鉱泉

【B班】

09/301日目):韮崎駅(バス)0945===1037御座石温泉1103---1322旭岳---1359燕頭山1404---1538鳳凰小屋(泊)

 

10/012日目):鳳凰小屋0438---0546 2694m地点(デポ)0553---0632赤抜沢ノ頭---0640地蔵岳0710---0747 2694m地点0800---0825観音岳0850---0915薬師岳0920---1208青木鉱泉1218(バス)===1305韮崎駅

 

 

☆行動と感想

【A班】

 

両日とも雲一つない快晴に恵まれ、秋の訪れを感じるとてもさわやかな天候だった。新歓期から数えると、私にとってこの山行はちょうど15回目となる。一言でいえば、心身ともに鍛えられた山行だった。

 

 

 

今回は、夏休みが終わって初めての宿泊山行であった。金曜日の夕方に装備の支度をし、土曜日の早朝にアパートを飛び出して駆け足で国立駅に向かうという慌ただしいリズムが戻ってきた。家を出てから、スマホと水筒を忘れたのではないかと思ったが、どちらもザックに入っていて一安心した。(忘れたと思って余計に水を買ってしまったが、井山さんが買い取ってくださった。)平日が忙しいとはいえ、準備は余裕をもって行いたいと思う。これからの季節、シュラフや防寒具などの忘れ物は命に係わるので、忘れ物だけは絶対にないようにしたい。

 

 

 

1日目)

 

6時の国立は薄曇りだったが、ヤマテンの天気予報によれば、鳳凰三山は両日とも晴れマークで、期待が高まった。韮崎までは特に迷うこともなく辿り着いた。東京に来て半年たつのに、詳しくなるのは甲府方面の電車ばかりだなあと思うと可笑しかった。韮崎駅から御座石温泉まではバスを利用した。バスは縦横に激しく揺れ、まるでUSJのアトラクションのようだった。ここまで揺れるとむしろ楽しくて、酔う心配はなかった。途中で対向車に出くわしたり、車酔いの乗客が出たりして、バスはなかなか進まず、予定通りに出発できるかどうかが危ぶまれた。車内で私は、これから始まる山行への期待感と同じくらい、不安を感じていた。今回は参加者が多いため、パーティーをABの2つに分けた。先行するA班は、早めにテン場に到着し、幕営場所を確保するという役割があった。そのためA班は山行経験や体力からしてそうそうたるメンバーで構成されていたのだが、私はそちらに振り分けられていた。それを見たときには、ある程度は体力面での信頼を置かれているのかなとうれしくなったし、「このメンバーだと相当鍛えられそうだな」と思うとわくわくした。A班で最も技術や体力がないのは明らかに自分だったが、それはこのパーティーがどれだけ早く進めるかは自分の粘り次第だということでもあり、そのように考えるとやる気が出てきた。その一方で、今回は「テン場を確保する」という重要な目的があり、混雑具合を考えるとかなり急ぐ必要があった。ほかのメンバーと私とはレベルがかけ離れているので、自分がいることが、このパーティーの足を引っ張ることになるのではないかということが気がかりだった。そのため先輩方には、「可能な限りA班で頑張りたいけれど、もしついていけなくなったらその場で待機してB班に合流したい」とお伝えした。初めから私をB班に入れるという話も出ていたなか、この気持ちを尊重してくれたのはうれしかった。

 

 

 

バスはほぼ定刻に到着したが、トイレが混雑していたことなどで、出発までに意外と時間がかかった。御座石温泉で登山届を提出し、田中さんを先頭にして、予定より30分遅れて歩き始めた。登山口に入るなり、急な登りが始まった。体が十分に山に慣れていない状態でのこの登りはかなりきつく、息も上がったし、太ももやふくらはぎを激しく鍛えられている感じがした。田中さんが時々こちらを振り返ってがんばれと声をかけてくださったり、登り方のコツを教えてくださったりして、何とか付いて行くことができた。「あとちょっとだよ」といわれると不思議と力が出てきた。ただ、田中さんの「あとちょっと」は私にとっては全然あとちょっとではないことに気付いたので、脳内で「まだまだがんばれ!」に変換することにした。

 

 

 

樹林帯の中は、登りがしばらく続いては平坦な道が現れるという繰り返しだった。歩きながらふと頭上を見上げると、黄色く色づき始めた木の葉の隙間から真っ青な空がのぞいていて、とてもきれいだった。開けた場所に出ると、八ヶ岳がくっきりと見えて美しかった。

 

 

 

田中さんにはかなりペースを落としていただいたと思う。しかし、私は息が上がるばかりで足は動かず、もしテント場が満員になってしまったらどうしようと考えると、ちょっと泣きそうな気持ちになった。先輩たちが大丈夫だと励ましてくださったことや、三宅くんがお米を持ってくれたことなどにかなり救われた。この夏でだいぶ体力がついたと思ったけれど、まだまだだなあと痛感した。

 

 

 

きつい登りもいつかは終わるもので、鳳凰小屋に着いた時にはほっとした。が、すでに大量のテントが張られていた。幸いテント場の方が、私たちが来ることを把握して幕営場所を取っておいてくださったので、小屋泊をせずに済んだ。だいぶたってからB班も到着し、夕食の支度にかかった。夕食は佐々木くん考案のチーズリゾットで、行動中からずっと楽しみにしていた。エリンギを切っていると、佐々木くんから大きすぎるとツッコミを入れられた。今回の食事準備の時間を振り返ると、自分がやったことといえば、乱切りエリンギの大量生産と水汲みぐらいで、ほとんどほかの人がやっているのをぼんやりと眺めていたように思う。テント場であっても、気を抜きすぎないようにしたい。出来上がったリゾットはとてもおいしかった。温かくてクリーミーなリゾットのおかげで、心も体も、行動中にかすれてしまった喉も、すっかり回復した。夜は寒さで熟睡はできなかったものの、しっかりと疲れをとることができた。木曽駒ケ岳で4テンに一人で寝た夜を思い出しながら、やっぱり井山さんと松澤さんがいると安心できるなと思った。

 

 

 

2日目)

 

250のアラームよりも少し前に目が覚め、テントの中でコーンポタージュとフランスパンの朝食を済ませた。半分に切ったフランスパンをワイルドにちぎって食べるというのは始めての体験だったが、おいしかった。テントから出ると満天の星空が広がっていて、思わず息をのんだ。ゆっくり見る時間がないのが惜しかった。テント撤収のとき、隣のテントと至近距離で作業していて、「もう少し離れたところでやってほしい」と注意されてしまったので、混雑したテント場ではしっかり周りの状況に気を配らなければいけないと反省した。

 

 

 

予定よりも30分早く出発することができた。最初の分岐で、田中さんが私の思っていた方角とは違う方向に進んでいたのだが、「私の勘違いだったかな」と思ってスルーしてしまった。実はそちらはオベリスクに向かう道になっていて、内海さんや坂本さんも同じことに気付いてすぐに戻ることができたのでよかったが、私もちょっとでも「あれ?」と思うことはためらわずに言おうと思った。

 

 

 

いきなり急登が始まった。寝起きの身体で、真っ暗な登山道をヘッテンで照らしながら、みんな無言で登っていった。普段は2日目の行動は1日目よりも楽に感じるのだが、今回は違った。昨日の足の疲れが残ったまま登り始めたので、かなり苦しかった。でも、徐々に明るくなってくる中を登るのは好きだ。時折左手を見ると、木々の間から、夜の色から朝の色に染まりつつある空が見えた。2694m地点に出ると、想像もしていなかった絶景が広がっていた。夏合宿で登った北岳や間ノ岳がくっきりと見え、かっこよかった。しばらくの間、思い思いに写真を撮った。

 

 

 

ザックを置いて、空身で地蔵ヶ岳に向かった。絶景に惹かれて地蔵岳の登山道を見失い、断崖絶壁に出くわすなど、思わぬタイムロスをしてしまった。地蔵岳までは岩がごつごつしたハイマツ林が続いた。地面に霜柱が立っているのを見て、氷がこんなにきれいな「柱」になるんだと感動した。最初はザクザクという音が楽しくて霜柱を踏んで歩いていたが、あまりにもキラキラしてきれいだったので、途中で踏むのをやめた。オベリスクのふもとに、大量のお地蔵さまがいる開けた場所があった。ピークではないが、そこに山頂らしき看板があった。文字通り雲一つない快晴の下、富士山のシルエットが山陰からちらりと覗いていて、後ろを振り向くとお地蔵さんの背後に南アルプスの山々が連なっているのが一望できた。私にはどれがどの山かわからなかったが、先輩に教えてもらって、私もわかるようになりたいなと思った。B班到着までは、地面に座って談笑した。オベリスクに見守られているような安心感があった。

 

 

 

2694m地点に戻った後、再びザックを背負って観音岳に向かった。メンタル的には、この区間が最もきつかった。先頭に付いて行く気力が残っていなかった。相当頑張って歩いている感じがしたにもかかわらずここまであまりコースタイムを縮められていないし、前を歩く田中さんの背中が遠く感じて、これ以上このパーティーで行動しても足を引っ張るだけだと思った。観音岳に着いてから坂本さんに事情を話してB班に行かせてもらおうと思ったが、私が思っているほど遅れてはいないし、そんなに焦ってぴったりついて行かなくても大丈夫だといわれて少し安心した。いい天気なのに山頂の景色を楽しむ心の余裕もなく、しばらくは岩陰でへこんでいたが、気を取り直して岩をよじ登った。そこには360度、息をのむ風景が広がっていた。赤や黄色に染まりかけている稜線は、夏の山とは違った表情を見せていた。見渡せば、富士山・北岳・間ノ岳という日本のトップ3の山が一望できた。いろんな岩に登って互いに写真を撮り合ったり、じっと山々を眺めたりしているうちに、不思議と残りの山行に対して前向きな気持ちになれた。

 

 

 

薬師ヶ岳から青木鉱泉までは、私が先頭を歩くことになった。こんなに長い区間、一番前を歩くのは初めてである。予定より一本早い12時過ぎのバスに乗るためには、少し急ぐ必要があった。先頭を任されたうれしさと同時に、先述した「どれだけ早く進めるかは自分の粘り次第」という自分の考えが、ここではプレッシャーのように感じられた。体調不良の人がいるのが心配だったが、それでも後ろの人たちは私より下山の能力は高いので、とにかく全力で足を運ぼうと思った。疲れてはいたが、一度スイッチが入ると頭も体もよく動いた。下りのときの足の動かし方は、これまでの山行で先輩の後姿を見て真似してきたもので、最近になってコツをつかみ始めた。初めは無理なペースで下っていたため転びそうになることもあり、このペースだとケガするよと指摘された。バスに間に合わなかったらどうしようという考えをいったん忘れて、気持ちに余裕を持たせた。その後は順調に下っていけた。コースタイムを縮めるには極力休憩時間を短くしたほうが良いのだが、30分ぐらいで集中力が切れてしまったので、小休止を取った。ここで内海さんが、ケガのリスクを減らすためにも、12時のバスは見送って次のバスに乗ろうとおっしゃった。私もこのままのスピードで先頭を続けるのはきつかったので、それを聞いてほっとした。B班にもその旨を伝え、今度はゆっくりとした速さで歩いた。後ろを歩いていた内海さんに、下りが速くなったねと言われて、驚くと同時にすごくうれしかった。

 

 

 

ペースを落としたとたんに全身に疲労を感じ、その場にしゃがみこみたいような気持ちになった。後ろの会話を何となく聞きながら、無心で歩を進めた。同じような登山道が何十分と続くうちに、林道らしきものが見えてきた。急げばまだ1215のバスに間に合う時間だったので、再びスピードを上げた。30分間平坦な林道が続いたが、一度スイッチの切れた体を前へ前へと進めていくのはなかなかきつく、自分が仏頂面になっているのがよくわかったし、最後の数分間は喉が渇きすぎて頭がほとんど回っていなかった。バスの姿が見えた時には心底ほっとした。

 

 

 

体力的には今までで一番きつい山行だったが、それでも振り返るとすべて「たのしかった」という一言に集約される。青空の下、紅葉が始まった山の中はすがすがしかった。なによりも、急登を登りきった後に見た絶景は、これまでの辛さをすべて吹き飛ばすくらいの威力を持っていた。辛い登りでも、この山行に参加したことを後悔した瞬間は少しもなかったし、メンバーに何度も励ましてもらったり、助けてもらったりしながらなんとかA班で行動することができたこと、急がなければいけない下りの道で先頭を任せていただいたことはすごくうれしかった。下山してバーミヤンでご飯を食べているときに、田中さんから「川原は途中でついてこられなくなると思っていた」と言われたので、最後までついていけてよかったと感じた。

 

 

 

入部してから半年がたち、今シーズンの山行はのこり数回となってしまった。4年の先輩方と登れる機会もあとわずかだと思うととてもさみしいが、一回一回の山行を大切にしていきたい。

 

 

【B班

1日目

 

最初から登りがきつく、最初から最後までずっとバテていたが、絶好の山行日和であったためなんとか気がもった。途中、チェックポイントである西ノ平がわからず素通りしてしまったため、記録係として事前にチェックポイントを調べておくべきだった。(西ノ平の代わりに旭岳でタイムレコードをつけたため、計画書とは別のチェックポイントになっている。)鳳凰小屋が近づくと徐々に気温が下がっていき、半袖では寒いと感じるほどであった。OB佐藤さんの講習で教えて頂いた「100m0.6度気温が下がる」というのを体感した。

 

鳳凰小屋に着いたらすでにAチームの方々が一部のテントを建ててくださっていたので、夕飯を用意する役割と残りのテントを建てる役割に別れた。お米を炊く水を汲む以外のことをせず、用意の途中はずっと写真を撮っていて全くお手伝いせずに申し訳なかったが、出来上がったリゾットは大変美味しく、やはり食べ物っていいなあと思った。炊いたご飯が4合分ほど余ってしまったため、それぞれ持参したおかず(ふりかけやお茶漬けなど?)で食べた。ただ、調理中に通路に広がってしまい、通行の妨げになってしまっていたことは反省すべきことだろう。(今までの記録でもこういったテン場でのマナーに関しての反省は何度か見かけている気がするので、なおっていないということかもしれない…)

 

テント場は思った以上に寒く、防寒具をもっと持ってくるべきであった。就寝の時間になっても寒さ、特に足元の寒さで全く眠れず、シュラフの中に入ったからといって必ず暖かく眠れるわけではないとわかった。今度の山行では上着だけではなく余分に靴下やズボン、カイロを持ってこようと思う。

 

 

 

2日目

 

寒さのせいかほとんど眠れないまま起床時間になった。テントの中で急いで朝食のコーンスープとフランスパンを食べ、テントをたたみ、出発した。1日目と同様に天気に恵まれ紅葉が美しく、2694m地点に向かう途中でも綺麗な景色を見ることができた。

 

2694m地点に到着したら休憩をとってからデポし、地蔵岳に向かった。松橋、杉田、佐々木の3人がオベリスクを登っている間、日光浴と景色を楽しんだ。デポした地点に戻り、続いて観音岳に向かった。観音岳からの景色は特に素晴らしく、この山行に参加して本当に良かったと思った。そこから薬師岳に向かった。先頭が佐々木だったこと以外何も覚えていないので、すみませんが何も書けません。

 

薬師に到着して写真を撮ったら、すぐに1215発のバスを目指して急ぎめに下山することとなった。下り始めは、今までの中で下山のスピードが一番早く、文字どおり坂を転がり落ちていた気分だったが、途中で休憩中のAチームと出会い、1215発のバスを諦めてゆっくり降りることになった。この時初めて先頭を歩いたが、先頭を歩いたことがなかったためペースがわからない、自分の前に誰もいないとルートファインディングが楽しい、先ほどまでの感覚がなかなか抜けない、早く帰りたいなどでペースを間違えてしまった。林道が近づいてきた時、前を歩いていたAチームから、頑張れば1215発のバスに間に合うので急ぐと突然のおふれがあり、最後はかなり急いでの下山となった。

 

 

 

総括

 

全体として、昨年も鳳凰三山の山行に参加したが、天候に恵まれず残念ながら二山しか登ることができなかったため、今回の山行ですべてコンプリートすることができ、非常に達成感があった。また、全体を通して天候に恵まれ、今シーズンで初めて山頂から景色を見ることができた。北岳の時よりもましになったとは思うが、やはり体力がなくすぐにバテてしまい、あまり成長していないと感じた。しかし、今回の山行で気がついたのだが、もしかすると行動食をあまり食べないことが原因なのかもしれないので、次の山行では無理やりにでも食べようと思う。それと、ルートファインディングが楽しいと書いたが、これは下り限定だと思う。

 

観音岳~薬師岳間 (10/1 8:56)