丹沢東西縦走(24/05/03-06)

☆メンバー

田村健(CL、社3)、清水慧介(SL、社3)、亀井奏良(経3)、吉川昌希(社3)、大枝泰智(商2)、𠮷田啓輝(法2)、三宅脩太(社3)

 

☆天気

5/3 快晴

5/4 快晴

5/5 快晴

5/6 曇り(風あり)

 

☆コースタイム

5/3

三ヶ木0935---1130焼山登山口1158---1343焼山1408---1530黍殻避難小屋

 

5/4

0400起床→黍殻避難小屋0511---0552姫次0606---0733蛭ヶ岳・蛭ヶ岳山荘0831

---0924ミカゲ沢ノ頭0941---1030金山谷ノ頭1052---1159青ヶ岳山荘・檜洞丸1240

---1331展望園地1335---1451ツツジ新道入口1455

---1500ウェルキャンプ西丹沢1520---1530奥箒沢山の家

 

5/5

0500起床→奥箒沢山の家0610---0921畦ヶ丸山---0925畦ヶ丸避難小屋0956

---1010モロクボ沢ノ頭1017---1048大界木山1106---1127城ヶ尾峠1128

---1252道志の森キャンプ場

 

5/6

0400起床→道志の森キャンプ場0505---菰釣避難小屋0625---0644菰釣山0657

---0708ブナノ丸0712---0725油沢ノ頭0733---0740樅ノ木沢ノ頭0746

---0755西沢ノ頭0811---0825石保土山0830---0847大棚ノ頭0855

---0905山伏峠0907---1018日向峰1020---1038石割山1103

---1107石割神社1117---1149石割の湯

 

☆行動と感想

1日目

天気に恵まれ、己の日頃の行いを誇りながら中央本線で相模湖まで進み、そこから神奈川中央バスを利用して三ヶ木に到着した。そこから焼山登山口までは車通りが多く、遮蔽が少ない通りだったため、首裏を燃えたぎる直射日光で虐められた。通りを二時間弱歩くと登山道への分岐があったので一旦小休止した。新緑が眩しくジブリ映画を思い起こさせる情景だった。(特に『千と千尋の神隠し』冒頭お父さんが「この車は四駆だぞ」と言っていたシーン)休憩中に𠮷田が粉でアクエリアスを作っており良いアイデアだと思ったが、粉をケチり微妙な味になっていたのを見てそんな羨むほどのものでもないかと翻意した。焼山頂上までの道は想像以上に緩やかだった。山頂は標高が低くそれほど見晴らしもよくはなかった。黍殻避難小屋へ向かう途中にマリファナ感がある植物を見かけテンションが上がったが、Googleレンズに尋ねたところおそらくそれはトリカブトだとのことだった。薬物リテラシーの高さで命が助かった。避難小屋直前に水場があり皆でワクワクしながら汲みに行ったが全然美味しくなかった。今後機会があれば一口でも飲んでいただきたい。嘘偽りなくまずかった。丹沢は神奈川の水道水源林でありこれを濾過で美味してくださる水道局の皆さんには頭が上がらないと思った。小屋には先客のおじさんが一人いた。建物はとても綺麗で新しかった。トイレは和式でトイレットペーパーなし、ゴミは自分で持ち帰るスタイルだった。丹沢の避難小屋は無料で休憩・宿泊できるため、ありがたくタダで使わせていただいた。小屋外のテーブルで鶏出汁に豚バラを入れる冒涜的な鍋を作った。時間に余裕がありじっくりと煮込んだからか、今までの山ご飯の中でも1、2を争う絶品だった。締めのうどんまでいただいたあと鍋を片付けていると、もう一人別のおじさんがやってきた。小屋の端と端におじさん二人が眠り、大学生七人はそこに挟まるという布陣になった。オセロなら我が陣営は負け確だなと思いつつ入眠した。小屋はとても綺麗だが床は硬いのでスリーピングマットが活躍した。寝る前に七人がガサゴソ音を立てることになってしまいおじさんズには申し訳なかった。

 

2日目

よく眠りよく起きた。朝ごはんに菓子パンを食べていたら、温かいものを食べると元気が出てオススメだと田村先輩にアドバイスをもらった。今度からはどん兵衛を持ち込もうと思う。姫次までの道は前日よりも険しく登山らしくなってきたと感じた。姫次では富士山をはっきりと拝むことができて嬉しかった。このあたりでは山火事注意の看板が至る所に見られた。誰かが以前にやらかしたのかもしれない。蛭ヶ岳の登山道は土壌保全のためにほぼ全て木道と階段で覆われており歩きづらかった。道中鹿と見つめ合う一幕があった。蛭ヶ岳山頂では雲一つない絶景を拝めた。到着したのは七時から八時だったが天気が良く少し暑く感じた。山荘ではカップ麺が売っていたが汗がすごいことになりそうだったので購入は控えた。優しいカップルに集合写真を撮ってもらった。蛭ヶ岳〜檜洞丸上級者向けという恐ろしい看板があり、この先の旅路に不安を抱いたが、実際に歩いてみると多少のガレ場・鎖場はあるものの、それほど辛いルートではなかった。歩いていると見晴らしが良いポイントがいくつかありこれから行く方面の様子を伺うことができた。青ヶ岳山荘・檜洞丸でアクエリアスを購入して休憩していると早稲田の山関係のサークル?の人と話す機会があった。横のつながりを持つことも大事だと思った。早稲田の人の中にぬいぐるみと共に登っている方がいて面白かった。一橋山岳部で真似しても良いかもしれない。このあたりで亀井先輩と別れた。登りよりも長い距離歩いたため二日目に関しては下りの印象が強い。ひたすら降り、公道とつながるところまで歩いた。ウェルキャンプ西丹沢の売店で食べたクーリッシュは最高の味わいだった。ウェルキャンプ西丹沢と奥箒沢山の家は、川を隔てており、橋を渡るために少し迂回する必要があった。夕食を作る際にガス残量に不安があることが判明し売店まで引き返して購入する羽目になった。二泊三日以上の山行では余裕を持った装備設計が大切だと実感した。夜ご飯は秋刀魚炊き込みご飯を食べた。若干べちょついたが空腹の前では多少の粘気など些末なことだった。シンクを使って歯を磨けて幸せだった。この日はお腹の具合が良くないメンバーが何人かいた。皆はおそらく前日の鍋の肉が原因だろうとの見立てだったが、私はひょっとしたらあのまずい水が原因ではないかと睨んでいる。

 

3日目

よく眠りよく起きた。登山道に入る前に浅い川を越えるシーンがありとても楽しかった。たまにルートがわからなくなり、前を歩くお兄さんと目を見合わせながら進んでいった。初日や二日目に比べて登りが派手になり梯子の数も増えた。畦ヶ丸までの道中、黍殻避難小屋で会ったおじさんとすれ違った。忘れ物を取りに行くらしかった。おじさんのペースの早さに憧憬の念を抱きつつ畦ヶ丸・畦ヶ丸避難小屋に向かった。山頂よりも避難小屋の方が良い眺めな気がした。小屋は綺麗に整備されており、トイレも内部に備えつけられていた。利用者が書く日誌があり語尾に♡をつけている人が印象的だった。とりあえず一橋山岳部も語尾に♡をつけておいた。あまり標高が高くないため木で視界が遮られてしまい下りは正直退屈だった。そのようにして舐めた態度で歩いていると、ツツジ新道に入ってすぐのところで難所にあたった。道がほとんど崩れており、ロープとつま先を頼りに進むことになった。私は無様な体制になりながらなんとか渡りきっていたが後続の田村先輩はスタイリッシュにこなしていた。(憧憬の念2)三日目は活動時間が一番短く、すぐ道志の森キャンプ場に到着した。キャンプ場ではお風呂に入れたので堪能した。蛍光紫色の湯だった。キャンプ場から徒歩で二十分ほどのところに道の駅があり、どん兵衛や豚串などを買えた。清水先輩が二年生に一人一本飲み物をご馳走してくださった。(憧憬の念3)夜ご飯にはレトルトカレー/牛丼をいただいた。私が持ってきたアルファ米はエビピラフ味だったのでカレーで誤魔化した。小川の辺りにテントを設置したのでわずかにせせらぎを聞きながら入眠できた。この辺りでモバイルバッテリーの充電が切れてしまい、大枝からありがたく借りた。大容量のものを持って行った方が良いと学んだ。

 

4日目

よく眠りよく起きた。朝ごはんに前日買ったどん兵衛を食べた。温かいものは活力になると実感した。清水先輩は足の具合が良くなかったため出発のタイミングで道の駅から帰宅した。最初は𠮷田を先頭に登っていったが、とんでもないスピードで進むので泣きそうになりながらついていった。皆が何も言わないのでこれが普通なのだと思って必死に食らいついたが、どうやら𠮷田自身すら早いと感じていたらしい。辛いなら言ったほうが良い。確認したところコースタイムの二倍強のペースで歩いていた。そら辛い。おかげで時間に余裕ができたため、あとは何も気にせず登ることができた。前日までとは異なり風が強めの曇りという天気だったが、最も歩く日だったため涼しく過ごせて逆にラッキーだった。石割山に至るまでは、尾根をつたって代わり映えのしない景色を見ながら歩いた。その分石割山の山頂から望む巨大な富士山には感動もひとしおだった。山頂の下には石割神社があった。境内を三周すると縁結びになるらしいのでグルグルと回った。二ヶ月が経っても効果は現れておらず、神よりもTinderの方が頼りになるのかもしれない。下山後すぐに石割の湯を訪れ、お風呂でさっぱりとした後に食堂でご飯にした。ペースが早かったためゆっくりと過ごしても計画より早いバスに乗ることができた。食堂ではお酒も売っていたがその後乗り換えが六回待ち構えているので判断能力を保つためにも控えておいた。丹沢は東京からのアクセスが良く、五月にそこそこの長さの無雪縦走が行える素敵な山域だと思った。公道からアクセスできるキャンプ場で寝泊まりしたため、山岳部感は少し薄らいでしまったが思い出にのこる山行になった。

 

 (文責:三宅)