芦安登山道整備(24/06/01-02)

☆メンバー

田村健(CL・社3)、加藤弘人(記録・経済研M1)

 

☆天気

6/1 曇り

6/2 雨

 

☆コースタイム

6/1

芦安ファンクラブ事務所1030==(車)==夜叉神峠トンネル東口1100---1200桧尾峠1230---1330中池1400---1500桧尾峠---夜叉神峠トンネル東口1600==(車)==1615芦安ファンクラブ事務所

6/2

雨天のため中止

 

☆行動と感想

①1日目―「集合」

初日は甲府駅信玄像前でOBの方々と待ち合わせした。一橋山岳部関連の参加者は、針葉樹会から前神さん、小島さん、井草さん。加えて小西先生と、井草さんと共にワサビ農家をされている窪田さんも参加。バスで芦安まで向かおうとしたが、運行期間が6/21からとなっており、急遽タクシーで移動することになった。到着後、芦安ファンクラブ・富士通アイネットの方々との集合時間まで余裕があったため、芦安山岳館でOBの蔵書等を集めた「針葉樹文庫」を見ることになった。一橋山岳部と芦安の深い関係がここからも感じられる。他にも山に関する書籍が多く集められており、芦安を通るときは是非また寄りたいと思った。

 

②1日目―「整備活動」

集合した後は、車で夜叉神峠トンネル東口まで行き、そこからは鍬やチェーンソー等の道具を持って登っていく。70代を超えている方々がしっかり荷物を背負って登っていくのを見て、驚いた。自分の歳で体力がどうこうと言っている場合ではない。桧尾峠につくと大きなコメツガの倒木が道を塞いでいた。大きな木をかいくぐった先で昼ご飯を食べた。(宿泊した白雲荘の方が作ってくださった握り飯!美味しかった。)

そこからチェーンソー組と鍬組に分かれて、前者は桧尾峠の倒木処理を、後者は中池までの登山道を整備することになった。僕は後者のグループに入り、20人ほどが少しずつ鍬で道を広げながら足で道を踏みしめて整備を行っていく。先頭にいらっしゃったファンクラブの3人がある程度道を広げてくださるので、後ろにいればいるほど綺麗な道を歩くことができた。その3人の後ろにいた僕は少しでも役に立とうと、狭いところを見つけては削って歩きやすい道となるように頑張った。1年前に整備したはずなのに、道はかなり土や岩で埋もれている。登山客が少ないとどうしてもすぐ荒れてしまうため、毎年の整備が欠かせないらしい。普段自分達が通っているきれいな登山道がいかに歩きやすいのかを痛感した。それでもふと気づいて自分が通ってきた道を見ると、かなり歩きやすくなっている。

そうこうしているうちに中池に着いた。(最近、中池には水が溜まっているのを見たことがないらしい。)北岳を見られそうな場所まで登ってみるが、木々と曇りのせいで展望はあまり良くなかった。後続の人も中池に到着すると、ファンクラブの清水さんがイタヤという植物の謂れを教えてくださったり、他の方からバイケイソウの毒の話を聞いたりと、面白い話をたくさん聞くことが出来た。経験・知識が多い人と山を歩くと話を聞くのが面白い。

同じようにして道を歩いて帰ったが、帰りは途中にあった倒木を処理することになった。何人かで鍬を使って木を持ち上げると、急な斜面を大きな木がスピードを上げて落ちていく。巻き込まれると大変な光景だったが、このようにして登山道が整備されていることを思うと、普段安全に登山道を歩けることに感謝しなければいけないと感じた。帰り道では、意図しない落石が起き、田村君の目の前を落ちていくということがあった。登山道を整備したとはいえ、一般登山道として人が多くなると、いつか事故が起きるかもしれないというような声もあった。まだまだ課題はあるが少しずつ自分達にできることをするしかなさそうだ。

このようにして整備が終わったわけだが、体力的にはそこまでしんどくはなかった。むしろ、滑りそうな梯子や落ちそうな場所を通ることによる精神的な疲れの方が大きかった。しかし、整備活動を通して普段の道への感謝の念を深めることができたのは大変面白い経験であった。

 

③1日目―「解散後」

富士通アイネットの方々は初日で活動終了し、全体としても1日目の活動は解散。その後僕たちは白雲荘で風呂に入り、清水さんを招いて共に夕飯をいただいた。(大変なごちそうで量も多く、腹がはちきれるほど食べた!)OBの方々と清水さんの間で山の話は際限なく弾み、清水さんから芦安の昔の話なども伺った。その流れの中で、2日目が雨ということもあり、2日目の整備は中止にして清水さんのお話を聞くことがその場で決定した。

夕食後は、OBの方々の部屋で少し飲みなおし。かつて60kg近い荷物を背負っていた話や、当時の大学で山岳部が体育会として箔があった話など、本当にたくさんのお話を聞いた。山の知識が浅い僕は分からないことも多かったが、それでも面白かったし、より深い知識を身に付けたらもっと楽しめるだろうと思った。

学生だけの部屋に戻った後は、地図を見ながらさっきはどこの話をしていたのかと振り返ってみた。田村君が有名な山・峠・山小屋を色々教えてくれる。布団の上2人で並んで地図を見ながら山について話すのはとても楽しかった。これは普段の部会とも山行とも違う経験だろう。OBやファンクラブの人が言ってらっしゃったのがどこか分かるのも楽しいし、これから行きたい山を考えられるのも面白い。

 

④2日目―「清水さんのお話」

豪華な朝ごはんをいただいた後、ファンクラブの事務所で清水さんのお話を聞いた。内容は、「山小屋の歴史」「竹澤長衛」などである。山小屋は当初県の職員が山を管理するために使った小屋であって、定員に対して大変狭く設定されており、今の山小屋が大変混雑しているのはここから来ているらしい。このような山小屋の歴史を昔の資料をもとに写真付きで解説してくださるから分かりやすい。竹澤長衛は南アルプスの開拓の父と呼ばれている男である。彼は南アルプス登山者の安全のために山小屋を建設し、それは現在も北沢峠に「長衛小屋」として残っている。名前が山小屋に残っていることからも分かる通り、当時相当尊敬され、信頼された人であったらしい。山梨県知事へ山案内もしている。長衛さんの話も色々深いエピソードがあって興味深かった。前日の夜に山の地名の予習(復習)をしたかいもあり、地理に関する情報はスムーズに理解できた。昔の有名な登山家の名前は分からないことも多いが、知識が増えればさらに楽しめそうな話であった。

 

⑤2日目―「帰宅」

雨で整備が中止になったので、早めに解散し、帰宅することになった。甲府駅から東京方面への普通電車は1時間に1本しかない。時間があったので甲府城跡に行った。山に囲まれている土地で、ほどほどに田舎であり、住みやすそうな場所である。(電車は少ないが。)

中央本線に揺られ国立まで帰るのはなかなかに時間がかかるはずだ。しかし、山で浄化された心は、深い考え事をするのに向いているので、田村君と深い話で盛り上がっているとそこまで時間は感じなかった。

整備の経験と、清水さんから聞いた歴史の話、OBの方々から聞いた一橋山岳部の話、田村君との話、すべて含めて大変面白い2日間であった。行ったことのない部員は是非参加することをオススメする。

 

(文責:加藤) 

岩山を歩いている人たち 自動的に生成された説明整備の様子。滑りやすそうな箇所にロープをかけ、鍬で狭い道を広げる。

屋外, 建物, フェンス, 木製 が含まれている画像 自動的に生成された説明テーブルの上に並べられた料理 自動的に生成された説明